びゃっくらーん


 室内に入るとまず最初にムッとするような血の匂いが鼻につき、それから白蘭の能天気な声が聞こえてきた。マリアちゃん、と私の名前を呼ぶ声はどこか楽しげでむせ返るような血の匂いとは似合わない。床一面に広がって血だまりに白い靴が汚れないよう注意を払いながら一歩ずつ部屋の中央で倒れ伏す一人の青年と白蘭の顔を見比べれば、ここで何が起こったのか、そして彼が何を求めているのかくらいすぐ分かってしまう察しの良い自分が嫌だ。

「…私に死体の始末をしろと?」
「よく分かってるね、流石マリアちゃん」
「死体の処理は私の仕事の範疇じゃないんだけど」
「そんな事言わずにさ」

 いつもと全く変わらない笑みを浮かべながら白蘭は死体を踏み付ける。白いブーツにべったりと血が付き、死んだばかりの死体かと淡々と考えた。死者への冒涜だとか、そんな事を考えるような人間ではない。その行為を止める事なくただぼんやりと眺めていると、死体を蹴り上げるその足によって、そこに倒れていた青年の顔がこっちを向いた。白蘭は一体何を考えているんだろうか。そこに居るのは紛れもなく伝達係のレオ君だ。

「何で?いつもの気紛れにしてはこれはちょっとやり過ぎじゃない?」
「そんなことないよ。だってこの子骸君だもん」
「…どこが。どこから見ても貴方のお気に入りの伝達係レオナルド・リッピじゃない」
「えっもしかしてお気に入りって事でマリアちゃん、レオ君に妬いてたりするの?それだったら嬉しいな」
「全然妬いてないからね」

 いつも通りの一方的なやり取り。無理矢理自分勝手に解釈された彼の言葉に思わず溜め息が出てしまう。多少親しくしていた程度の伝達係である彼の死をわざわざ悼む気など起きず、とりあえず小さく手を合わせておいた。(親しくなった理由が上司である白蘭自身なのだから皮肉なものだ)そこにいるレオ君はどこからどう見ても私が知っているレオ君で、彼以外の誰かがあるという事実を信じられずにいる。骸君というのはきっとボンゴレの霧の守護者である六道骸なんだろう。でも私が持っているデータの六道骸とレオ君はあまりにも違い過ぎて、目の前にいる白蘭が上司であるという事も忘れて反論したくなってしまう。彼の死を悼む気にはなれないが、仲間の死を目にするのはどうも後味が悪い。(更にその死体を始末しないといけないのだから、気分は最悪だ)

「じゃあマリアちゃん、後片付け宜しくね」
「…死体処理班呼んじゃ駄目なの?」
「それじゃ意味ないよ。マリアちゃんが始末してくれないと」
「なんで?」

 白蘭に問いかけるのはあんまり好きではない。その返答があまりにも気分的で、そして大半が的外れなものであることを知っているからだ。知り合いの死体を始末したくはないからです、といってそれが通用したのならどんなに楽だろう。いい加減その性格破綻をどうにかしてほしい。そのいい加減さの所為で正ちゃんが神経性胃炎で入院してしまったら一体この人はどうするのか疑問だ。(入院しても仕事押し付けたりするに違いない)(この人に気に入られてしまったら色々とおしまいだ)白蘭の行動はいつだって一方的で、私は彼が誰かの事を気遣って行動しているところを見たことがない。いつもの貼り付けたような笑みを浮かべたまま考える素振りを見せる白蘭に対して嫌な予感しかしないのは、きっとその為だ。自分で聞きながらも、彼が言う言葉の続きを聞きたくないと思ってしまう。

「だってマリアちゃん、レオ君と仲良しだったでしょ?」
「…まさか、そんな理由でレオ君を殺したとか言わないでしょうね?」
「流石にそれはないけど…あぁ、でも、ちょっとはあったかな」
「仲良くしてたって別にちょっと話した程度なんだから馬鹿らしい」

 本当に馬鹿らしい。馬鹿らしくて笑い飛ばしたくなってくる。だけど笑えないのは白蘭の言葉が本物であることを知っているからだ。仲良くした程度で人一人を殺すなんてゾッとする。そんなこと有り得ないことだと理解しながらも、相手が白蘭だとそれも可能性の一つとして容易に考えることが出来る。レオ君に申し訳ないと思ったりはしないが、それでも心に何かがこびり付く。

「マリアちゃんは僕の事だけ考えてればいいんだよ」

 私の返事を待たず白蘭は続ける。とびっきりの愛の言葉を囁くかのようにその声は愛おしさを含んでいて、私はますますゾっとした。状況が違えば、この言葉にロマンチックさを感じていたに違いない。だけど白蘭が言うだけでどんなロマンに満ち溢れた言葉も背筋の寒くなるような言葉になってしまう。薄ら寒い言葉に反吐が出る。そんな言葉を私は望んでいる訳ではないというのに。

「僕だけを見て、僕だけと話して、僕と一緒に生きればそれでいいんだ」

 無理だよ、そんなの無理。ばっかじゃないの!上司で、組織のボスじゃなかったら今すぐ殴り飛ばしてやりたい。どうしよう、本気で気分が悪くなってきた。頭がクラクラする。白蘭の事は嫌いじゃないのに白蘭が口にする言葉は大嫌いだ。もう少し言葉というものを選ぶべきだと思う。そうすればもっとマシな人間関係が築けただろうに。マリアちゃん、マリアちゃんと私を呼ぶ妙に上機嫌な声に思えず唇が歪む。これで嫌いだと言い切れない私は相当重症だと思う。

「だから、マリアちゃんに触れるレオ君は邪魔だし、レオ君が骸君ならもっと邪魔」

 レオ君がイコール骸君っていうのがそもそも理解出来ないんだよ。だから白蘭がレオ君を殺した理由もわからないんだよ。でも、言いたいことは山ほどあるのに声は一つも出てこない。私はただ黙ったまま、視線だけを所在げなく動かす。床に倒れたレオ君と、死体をまるでないものかのように扱う白蘭。床一面は既に血が酸化し初めているのか真っ黒に染まりだしていた。何も見ていたくはない。だけど、視線をそらすだけで、私は目を閉じようとはしない。うわ言のように繰り返される言葉に愛情がこもっている事だけが確かで、それだけの為に私は彼を視界から外せずにいた。

「マリアちゃんには僕以外は要らないんだよ」
「白蘭には?」

 声が震える。返ってくる言葉なんて決まっているのに、それを問いかけてしまう自分が愚かだ。その答えを聞きたくなくて、それでも聞きたくて、私は小さく問いかける。目を細めて私に嬉しそうに笑いかける白蘭と、そんな彼に対して思わず笑みを返してしまう私と、一体どっちが馬鹿なんだろう。何だかんだ言って私は白蘭の事が好きで、彼の好意を受け入れてしまっているのだ。私のために簡単に人を殺してしまう彼はゆっくりと口を開く。「僕は誰も必要じゃないんだよ」と、とても楽しげに白蘭は私の問いかけに答える。告げられる言葉は残酷なのに、それにホッとしている自分がいた。